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住宅を見直して

「家を建て替える」と決めたとしても、テレビで見たリフォームのように機能的で見た目も美しい住宅にできるだろうかと不安になられる方もいらっしゃるかと思います。
服を選ぶように、食を選ぶように、住宅も自分に合ったものを選ぶのは今や普通のことです。
しかも家を選ぶのではなく、著名な建築家を指名し、細部までこだわった住宅を満足いくまで話し合って住宅を建てるのも珍しくありません。

今、家の購入を考えていらっしゃるのであれば、一度、建築家から家を探してみませんか?

建築家の歴史

古代ギリシャ・ローマではそれは建築術をはじめ土木技術、造兵技術、機械技術を含んだ「大技術者」、いうなればグラフトマンで「大工」という意味であった。
中世ヨーロッパに大聖堂を築いた工匠は存在しても、建築技術者は一般に職人と見られていた。
建築家の地位が確立したのはルネサンス期以降で、建築家の名前が作品とともに伝えられるようになった。
15世紀イタリアのブルネレスキが建築家の始めとされる。
当時、フィレンツェ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)に世界最大のドーム屋根をかけることが課題となっていたが、巨大な足場が必要になるため、建設は非常に困難と見られていた。
ブルネレスキはこの課題に合理的な解決をもたらし、足場を築かずにドームを造る方法を提案して、ドームを完成させた。
また、万能の天才といわれた人文主義者アルベルティは『建築論』を著し、学問的に建築学を位置づけた。
これらの人物の活動によって、次第に職人とは異なり、高い教養と科学的知識を持つ建築家の職能が確立していった。
イタリアなど南欧諸国においては、ルネサンス期以降、建築家は主に社会的な事業に関わる芸術家として尊敬を集めてきた。
こうして、アーキテクトが芸術家的意味を帯びるのは15世紀のイタリア・ルネサンスに始まると同時に建築の形態が学問として科学的に解析検討され、芸術としての本性が追求された。
建築家は技術者との職分から、学者であり芸術家・デザイナーとしての側面を持つに至る。

ところがイタリアに比べ当時は後進国であったイギリスでは環境芸術家や都市デザイナー、アーキテクト的な側面は、イギリスで中世以来発展してきたサーベイヤーという職能の一部として機能する。
そしてこのイギリス的特性の中で形成されていくのが、近代的アーキテクト像とされる。
イギリス最初期にデザイン系の建築家となるイニゴー・ジョーンズや後のクリストファー・レンなど、多くの著名な建築家は、当初王室サーベイヤーとして活躍し、のちに建築家へと発展し、建築作品を残していく。
たとえば、1666年当時のロンドン大火後の再建計画を国王や市に寄せた幾人か、クリストファー・レンのほか友人のジョン・エブリン、その他ピーター・ミルやリチャード・ニューコート、バレンタイン・ナイトなど、この時点では専門の建築家でも都市計画家でもなく、本職をもちながらサーベイヤーを委嘱されていた人物らである。

この一群の中から、南ヨーロッパ伝統の、芸術家的側面の建築家とは異なる、技術的な側面の強い近代主義の建築家につながるもう一方の系統が生じ、さらにギルト・職能主義の進展、近代的教育組織や職能団体を結成し、さらに国家試験を課して資格制限を目指す排他性を基調とした動向などに伴い、サーベイヤーからアーキテクトは分離独立していく。
1761年には王室建設局が、これまで長らく使用してきたサーベイヤーという職名からアーキテクトという呼称に切り替えていく。
こうして発生した英国内のアーキテクトは、根本的には芸術家であるからとの理由で、画家や彫刻家と同列にとどまろうとはせず、すでに多くの機会に彼らは弁護士に伍する専門家として、すなわち意匠設計に携わることだけに劣らず、建設の際施主の経済的また利害の保護に携わる高潔、聡明の士、として活動することになる。

サーベイヤーという器の中で成長してきたイギリスのアーキテクトは、その歴史をみるとおり、芸術家というより、不動産としての建築、をつくる立場から職能的倫理や資格が問われていたのであり、1838年創立の英国建築家協会(後のRIBA)の憲章に、建築家は本来、施主と施工者との中間者である、と説かれているのは、このような立場からである。
近代的アーキテクト像がアーティスト的性格と、サーベイヤー的性格を統合する形で成立していったのには、このような歴史的背景がある。

日本の建築家

現在の日本においては、必ずしも「建築家」の明確な定義がなされていない。
日本では伝統的に設計と施工を兼ねる大工棟梁がいた。
Architect の概念は、明治時代以降に輸入されたもので、まずは明治政府が雇用したお雇い外国人トーマス・ウォートルスやジョサイア・コンドルらが活躍した。
次いで旧官立大学を中心に西欧の建築学が導入された。
東京駅の設計で知られる辰野金吾は工部大学校1期生である。

Architecture は当初「造家」と訳され、1886年に工部大学校卒業生を中心に「造家学会」が設立された。
やがて伊東忠太による提案を受け、1897年に建築学会(現・日本建築学会)と改称した。
伊東は、「造家」では技術的な要素が強すぎるので、芸術的な要素を強調するため「建築」という名称を主張したものであったが、すでに明治6年に発行された英和辞書でconstructionを「建築術なり」と称していた。

これに対する反発として、大正時代に日本建築士会と関西建築協会(現・日本建築協会)が結成された。
日本建築士会は設計と施工の分離を主張し、西欧の Architect に相当する地位を確立すべく、「建築士法」制定運動を起こした。
1925年に「建築士法」案が議会に提出されたが、建築界全体の足並みがそろわず、成立を見なかった。

第二次世界大戦後の1950年、建築士法が成立し、国家資格としての「建築士」制度が誕生した。
現在に至るも、日本では「建築家」として認定するための公的認定機関は存在せず、それを名乗るのに免許証や資格証等の証明は不要で、それに代わる資格認定機関も存在しないのが実状である。

実務上は、建築設計事務所のなかでも国家資格である「建築士」を擁した登録事務所でなければ、一定規模の建築を設計・監理することはできない。
他方では、前述したように「建築家」というのは資格制度上の名称ではなく、自身では資格がなくとも、スタッフに有資格者を置くことで建築士事務所を主宰し、職業として建築家と名乗る、ということも可能ではある。

ゼネコン設計部

現在日本で大手ゼネコンの抱える建設業設計部は建築界において大きな位置を占めており、評価の高い作品も多く生み出している。
日本では明治時代後半から清水組などの大手建設会社が大学出の学士を採用するようになり、自社で設計から施工までを一貫して行う体制を整えてきた。
この点は西欧流に設計と施工の分離を唱える立場からは問題視され、戦前の「建築士法」制定運動の中では、施工会社が設計を行うことを禁止しようという主張も見られた。

プロフェッサー・アーキテクト

大学で建築学の教育を行ないながら、実際の設計に関わるものをいう。
日本では、古くは東京大学の伊東忠太や早稲田大学の佐藤功一らの例がある。
特に東大の内田祥三は営繕課長を兼ねて安田講堂を含むキャンパス計画を作成し、教え子を育てながら大学のグランドデザインを実現させていった。
第二次世界大戦後も丹下健三、芦原義信、吉田五十八、吉村順三、清家清、堀口捨己、篠原一男、槇文彦、大野秀敏、坂本一成、村上徹、岸和郎、妹島和世、西沢立衛などプロフェッサー・アーキテクトの例は多い。
単なる理論のみでなく実務に関わることは研究上・教育上も必要であり、学生に設計実務を示すことができるなどのメリットがあるとされる。

建築士の資格

建築士とは、建築物の設計及び監理を行う者である。
建築物の設計及び監理は公共の安全に重大な影響をもたらすため、高度な教育と経験がなければ建築士となることはできない。
また、建築士という名称は法律で保護されており、免許を受けた資格者のみが使うことを許される。
尚、世界中のほとんどの地域において、それぞれの言語で建築士を意味する名称は法的に使用が制限されている。

建築物の質の向上に寄与するため、建築士法(昭和25年5月24日法律第202号)に拠って国家資格として定められた。
建築士は「一級建築士、二級建築士及び木造建築士をいう」と定義されており、それぞれの建築士は「建築士の名称を用いて、建築物に関し、設計、工事監理その他の業務を行う者をいう」と定義されている。

年1回行われる建築士試験に合格し、管轄行政庁から免許を受け、設計・監理などを行う。
建築士資格の種類により、設計・監理できる建築物の規模等に違いがある。

設計又は監理の公共性

ごく小規模なものを除き、建築物の設計又は監理を行うには建築士の免許が必要である。
他の多くの資格と違い、この制限は報酬を得なくとも、業としてでなくとも適用され、たとえ本人の住む家であっても例外ではない。
これは建築物が多くの人の生活に密接に関わり、場合によっては命を奪う凶器にもなりうることからなされている制限である。
医療行為ですら業としてでなければ医師以外の者が行うことを禁止していないことから、建築士の行う設計又は監理は大変重い社会的責任の元にあり、公共的性格の強いものであると言える。

種類及び内容

建築士には、一級建築士、二級建築士、木造建築士の3種類があり、その資格により設計監理できる建築物に違いがある。

一級建築士

一級建築士は、国土交通大臣の免許を受け、一級建築士の名称を用いて、設計工事監理等の業務を行うものである。

一級建築士は、次のような複雑・高度な技術を要する建築物を含むすべての施設の設計および工事監理を行うことができる。

  1. 学校・病院・劇場・映画館・公会堂・集会場・百貨店の用途に供する建築物で、延べ面積が500平方mを超えるもの
  2. 木造建築物または建築の部分で、高さが13mまたは軒の高さが9mを超えるもの
  3. 鉄筋コンクリート造、鉄骨造、石造、れん瓦造、コンクリートブロック造もしくは無筋コンクリート造の建築物または建築の部分で、延べ面積が300m2、高さが13m、または軒の高さが9mを超えるもの
  4. 延べ面積が1000m2を超え且つ階数が2階以上のもの
二級建築士

二級建築士は、都道府県知事の免許を受けて、二級建築士の名称を用いて、設計工事監理等の業務を行うものである。
具体的には、一定規模以下の木造の建築物、および鉄筋コンクリート造などの主に日常生活に最低限必要な建築物の設計、工事監理に従事する。

二級建築士が設計・工事監理のできる限度範囲は、以下のとおりである。

  1. 学校・病院・劇場・映画館・公会堂・集会場・百貨店などの公共建築物は延べ面積が500平方m未満のもの
  2. 木造建築物または建築の部分で高さが13mまたは軒の高さが9mを超えないもの
  3. 鉄筋コンクリート造、鉄骨造、石造、れん瓦造、コンクリートブロック造もしくは無筋コンクリート造の建築物または建築の部分で、延べ面積が30m2〜300m2、高さが13mまたは軒の高さが9m以内のもの
  4. 延べ面積が100m2(木造の建築物にあっては、300m2)を超え、又は階数が3以上の建築物(ただし、第3条の2第3項に都道府県の条例により規模を別に定めることもできるとする規定がある)。

つまり、木造の住宅や、小規模な鉄筋コンクリート造などの建物などの設計及び工事監理が可能である。

木造建築士

木造建築士は、都道府県知事の免許を受け、木造建築士の名称を用いて、木造の建築物に関し、設計、工事監理等の業務を行う者である。

木造の建築物で、延べ面積が100m2を超えるものを新築する場合においては、一級建築士、二級建築士又は木造建築士でなければ、その設計又は工事監理をしてはならない。
つまり、木造建築士は、木造建築物で延べ面積が300m2以内、かつ2階以下のものを設計・工事監理ができる。

その他

上記以外の小規模な建物は、建築士の資格がない者でも設計できる。

構造設計一級建築士

一定規模以上の建築物の構造設計については、構造設計一級建築士が自ら設計を行うか若しくは構造設計一級建築士に構造関係規定への適合性の確認を受けることが義務付けられている。
一定規模以上とは、高さ20mを超える建築物や構造適合性判定機関の構造審査にかかるほとんどの建築物を示す。

設備設計一級建築士

一定規模(階数3以上かつ5000m2)以上の建築物の設備設計については、設備設計一級建築士が自ら設計を行うか若しくは設備設計一級建築士に設備関係規定への適合性の確認を受けることが義務付けられている。

管理建築士

管理建築士とは、建築士事務所の常駐の建築士で事務所の技術的事項を管理する者のこと。
建築士事務所を管理する建築士。

建築士事務所事務所の開設者、経営者である必要はない。
このため、無資格者であっても、建築士を管理建築士として雇用することで、建築士事務所を開設し、経営することができる。
2008年の建築士法改正により、建築士としての3年以上の実務経験の後、講習を受けることが、管理建築士の必要条件となった。

関連業務

技術者等として従事できる場合

設計監理としての色が強い建築士だが、他の法律で定める技術者等として従事することもできる。